カテゴリー「学問・資格」の記事

道長四十五歳の時の歌

尼上さま(穆子)が九月十余日に、観音寺(かんのんじ)の御堂を作らせてその法事をするというので、倫子(りんし)さまも寺に行って、法事が終わったので帰られました。尼上はそのまま観音寺(かんのんじ)にとどまっていらっしゃったので、翌朝、道長さまより(★ここは説明にする)
「そちらは嵐吹く山。そんなところにあなたを置きっぱなしにして帰ってきた私たちはあなたのことが心配で上の空。私たちの気持ちと同じように今日の空はしぐれております。時雨は私たちの涙なんです」(あらしふくみやまのさとにきみをヽきてこころもそらに今日はしぐるる)
 道長は早朝倫子を迎えに行って、二人で帰ったんですね。だから穆子は観音寺に残ったんです。道長はやさしいね。穆子を心配して歌を贈ったのでした。
この観音寺の法事は寛弘七年(一〇一〇年)九月。道長は四十五歳(★『御堂関白記中』五八頁)。

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プレス(新聞社)対応

日曜日のシンポジウム、

小さな記事になります。

古典不要論に興味を示されました、

というか、ご存じでした。

こういった問題は内部で気炎をあげるより、

なるべく外に発信した方が良いと愚考します。

私は最高50名だと思っていたので、

知り合いに声をかけなかったのね。

すいません。

もっとはやく動けばよかった。

 

 

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★おすすめ本―『好色五人女』(井原西鶴、田中貴子訳、光文社古典新訳文庫)

★おすすめ本―『好色五人女』(井原西鶴、田中貴子訳、光文社古典新訳文庫)

解説がすごい。時代によって作品の評価が変わることなど

とても勉強になりました。また向田邦子の「隣の女」、解説の冒頭で

うまく使われておりました。

現代語訳は語りを聞いているようでリズム感にあふれてます。

またわかりやすいように、今の言葉も使われてますね。

八百屋お七の話は悲劇だと思ってたけど、意外にコミカルだった、

という新発見もいたしました。

西鶴の再発見ができます。おすすめ!!

Tanaka

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★第二回目大河ドラマを100倍楽しむ方法(ツイッターXより)

★第二回目大河ドラマを100倍楽しむ方法(ツイッターXより)


★★なるべくシナリオのカット順に並べました。最初の二つは番組前です。
前もって書いたものをシナリオを見ながら並び替えました。

★★やはり道兼は兼家の言うとおりになりましたね。毒入れるのね。道兼は父の兼家から評価されたくて仕方ない。だから評価依存。兼家の言うとおり動いてます。ということで、今日ツイッターに挙げた順に書きましょうね。
今回は円融、兼家、詮子が中心になりましたね。特に詮子。詮子の歌、いろいろと興味深いです。

■紫式部の弟。惟規(のぶのり)は、どれ見ても「勉強嫌い」と書いてあるけど、勉強嫌いの子が大学寮に行って大丈夫だったのか。なお、道綱が大学寮に行ったかどうかは不明。「試験など間違えないように」と母が書いているところをみると行ったのか。しかし兼家の息だからねえ。資料がないから難しい。

■兼家と円融の歌のやりとり。これは一次資料。かなり多いですね。兼家は円融歌壇を支えた一人。政治的に反目してたからといって、贈答歌を交わさないわけではない。もっとゆるっとした関係なんですね。川村『蜻蛉日記の表現と和歌』より。兼家と円融帝の歌を集めました。

………………………………

■人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな(親心というものは分別があるはずなのに、子どものことを思うとなぜか闇夜の道を行くように、どうしようもなく心がまよってしまうものなのです)(『後撰和歌集』一一〇三)詠者の藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)は紫式部の曽祖父。


■裳着(もぎ)は成人式ですね。裳着をすますと結婚ができました。でもこの順番が違っていた女性がいました。それは『源氏物語』の紫上。あまり知られてはいませんが、あとで出てくる兼家の娘・詮子は、道綱母の養女と一緒に裳着する計画があったのです。兼家の提案。(『蜻蛉日記』下巻)。

■硯のモバイル→まひろが代筆屋で使っていた小さな硯。これはモバイルですね。硯箱のモバイルは『源氏物語』の「澪標」に出てきます。惟光が源氏に渡すのですね。ここの所の絵は浄土寺蔵の「源氏物語扇面散屏風」が有名。

■兼家と円融天皇は遵子の立后で対立していましたが二人とも和歌の上では交流有。「円融天皇周辺で和歌をよく詠じており、兼盛・能宣といった歌人たちとも交流があった」(和歌文学大辞典、川村執筆)ということで、政治的には反目してましたが、和歌のやりとりをよくしていました。

■詮子と円融天皇の仲はそれほど悪くはなかったかな。兼家が怒ってもしょうがない。遵子が立后したのだからね。「おなじ女御の御方にうへ(円融)、つねにわたらせ給けるに、ゆげひの命婦に東三条のおとど(兼家)」(『円融院御集』四十八、四十九)。仲良しの時期もありました。

■大河では、実家の紫式部の部屋がセッティングされてますね。廂と母屋直結らしき貧しい設定。なお、『新編日本古典文学全集 源氏物語一』(小学館)の月報には「紫式部の居室」という説明付きの絵があります。こちらは土御門邸のなかの紫式部の部屋。

■詮子(せんし)は一条天皇(懐仁(やすひと)親王)を東三条邸(兼家の邸)で生みました。この絵は珍しい詮子の出産シーン。栄花物語の絵巻です。現物はもうありません。この模写が唯一の絵となりました。→『平安のステキな!女性作家たち』207頁参照。

■詮子はアクティブで魅力的な女性。兼家の息・道綱が橘を贈ってきた時に橘の贈答を交わしています(『道綱母集』)。この贈答はまるで『和泉式部日記』の冒頭みたい。年時的にいっても詮子の歌は『和泉式部日記』以前。詮子の歌については研究が進んでいないので、ぜひぜひ調べてみてね。

 

 

 

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★おすすめ論文―小林賢太「『建礼門院右京大夫集』の和泉式部受容――恋と追悼のモチーフを軸に――」 (国文学研究 第百九十九集、令和五年十一月)

★おすすめ論文―小林賢太「『建礼門院右京大夫集』の和泉式部受容――恋と追悼のモチーフを軸に――」(国文学研究 第百九十九集、令和五年十一月)
和泉式部の影響が右京大夫集に見られることを実に丹念に検証された論。
天才歌人の和泉式部が右京大夫にとって、いかに憧憬の的であったかが、くっきりと浮かび上がる好論。最後に示される王朝の体現は、現実世界でも王朝文化を演じていた平家文化全体の特質を大きく捉えた視点ですね。単なる比較で終わっていないところがすばらしい。

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★おすすめ連載―紫式部日記のプロ福家俊幸先生の連載です!!

★おすすめ連載―紫式部日記のプロ福家俊幸先生の

連載です!!

 

https://www.rekishijin.com/34337

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道長の食べていた粉熟

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■道長の食べてた粉熟(ふずく)の出典→『源氏物語』宿木「宮の御前にも浅香の折敷、高坏どもにて、粉熟まゐらせたまへり」。だから高坏(たかつき)を描いてもらったのでした。台みたいに見えるのが高坏です。中君の子の産養(うぶやしない)=出産パーティー。

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角川セミナーも作っていただきました!武蔵野書院さま、ありがとう(泣)

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すごい武蔵野書院さまの宣伝きれい(拾遺集シンポ)

拾遺集シンポ。いつもありがとうございます!

武蔵野書院様。本当に無料で作っていただいて

いいのでしょうか。申し訳ない。

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文学通信さまに拾遺和歌集のシンポを採り上げていただきました(泣)

★【拡散希望】拾遺和歌集シンポジウム(於早稲田大学)和歌の披講(綾小路流、冷泉流)あります。: 川村裕子の王朝と猫 kageyuko.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/p…

ありがとうございます(涙)

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