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★第十四回目大河ドラマを100倍楽しむ方法(ポストまとめ)

★第十四回目大河ドラマを100倍楽しむ方法
★平安時代へようこそ!!★
無料配信のはじまり、はじまり~
ムックなどのあらすじで予習をしています。
よって、はずれることもあるのね。
どうかお許しくださいませね~。
#光る君へ
■先週、定子さまが奪った伊周さまの手紙の歌は拾遺集!「おとにきく人に心をつくばねのみねとこひしき君にもあるかな(拾遺集巻十一、恋一、よみ人しらず、六二七)」(まるで筑波山の「峰(見ね)」ように、噂には聞くけど見たこともないあなたが恋しくて恋しくてならないのです)#光る君へ
■彰子さまだ。「集まってみんなが藤壷(彰子)の戸口でがやがやお話している時に」(集まりて藤壷の戸口に居て物語などするほどに)。ここで頭中将が詩を朗詠するのね。えっ、『枕草子』ですかね?いやいやこれは彰子さまサロン。ひえーそっくり。『御堂関白集』五番。#光る君へ
■さきのポスト。彰子サロンが定子サロンのまねっこしたのか、それともサロンってみんなこんな感じだったのか、どっちかな?考えてみてね。#光る君へ
■硯だ。この当時の硯も硯箱もかなり大きな物でした。#光る君へ
■兼家出家。五月五日関白、五月八日出家。かわいそうに関白の日数が少ない。#光る君へ
■道兼激怒。とうとう父親からの愛は得られず。それにしても、顔の演技がすばらしい。怒ると左右の目の大きさが違うのね。#光る君へ
■藤原尊子(ふじわらのそんし)は藤原道兼の長女。母は藤原師輔の娘で一条天皇乳母の繁子。尊子は、一条天皇女御ですね。暗戸屋女御(くらべやのにょうご)と呼ばれました。ただ、この部屋にめぐってはいろいろな説あり。#光る君へ
■双六をする一条天皇と定子。双六は二人でやるゲームでした。さいころを二つだして、その目をすすめるゲームだといわれています。『蜻蛉日記』のなかでは、兼家と道綱母が双六を、なんと賭け事に使っております。#光る君へ
■実資さま。日記、日記。日記に書いて。『小右記』の口癖は「往古不聞事也」ですね。「そんなことは昔から今まで聞いたことがないぞ!」です。#光る君へ
■実資様の今度の奥様は婉子さま。花山天皇の女御だったけど、天皇が出家したため実資と結婚。二七歳で亡くなります。若いですね。身分高いね。#光る君へ
■定子立后。十月五日。
■兼家は東三条邸ではなく法興院(ほこいん)で亡くなります(六十二歳)。#光る君へ
■おおおお「嘆きつつ」ですね。→この「うつろひ菊」の新説についてはビギナーズクラシックス『拾遺和歌集』の127頁をどうぞ。「私の蜻蛉日記」→そうですね。兼家さまは、割とよく書かれてます。冗談好き。#光る君へ
■兼家は九九〇年に亡くなり(六十二歳)、道綱母は兼家よりも長生きして、九九五年に亡くなります。六〇歳ころかな。そしておなじごろに道隆さまも亡くなってます。
→『蜻蛉日記』以降の年表は『新版蜻蛉日記Ⅱ』(角川ソフィア文庫)が詳細。
#光る君へ
■【追悼】兼家は歌はうまいです。兼家像を書くのであれば、歌は、はずせませんよね。『蜻蛉日記』最初の歌は「ほととぎすの声だけを聞くように君のうわさばかり聞くのは悲しいよ。今度はぜひ君と会って話がしたいなあ」→『蜻蛉日記』最初の歌。(川村監修『朝日ジュニアシリーズ 週刊しゃかぽん 平安の女性文学』朝日新聞社より)#光る君へ
■明子のリベンジに関して安和の変の時は幼いので記憶にない、というポストが散見されますが、『蜻蛉日記』では明子の母の愛宮が出家した記事があります。いくら幼く(五、六歳)とも安和の変は打撃であった。(九六五ごろ生年、安和の変は九六九年)→詳細は『蜻蛉日記』Ⅰをどうぞ。#光る君へ
■宣孝よかったね。筑前守。おおらかな宣孝。「うれしくても悲しくても涙はでるのよ」そう、人間の感情は揺れ動き、自分でも制御できず、定まることがないのですね。さすが、まひろ。#光る君へ
■直接の歌合に関する資料はないですが、高階貴子(たかしなのきし)は、前に漢詩の会も催していました。高階家は家格の高い家。なお伊周(これちか)には『儀同三司(ぎどうさんし)集』という家集があったらしいです(散逸)。#光る君へ
■この歌は「あきかぜのうちふくごとにたかさごのおのへの鹿のなかぬひぞなき」です。(『拾遺和歌集』秋、一九一、読人不知)→「秋風の吹くたび、そのたびに高砂の尾上の(播磨)鹿が鳴かない日はありません」この歌は名歌とされて『定家八代抄』『井蛙抄』にもあります。#光る君へ
■元輔没。清少納言は父親の歌才にいつもおびえていました。歌の天才。#光る君へ
■道隆一家はみんな出世。伊周蔵人頭。中関白家が一番華やいだ時代ですね。伊周はなんでもできるイケメン超越男子。#光る君へ
■清少納言は目的のない人がきらいみたい。「将来がなく、本気で見せかけの幸いなどを目指しているような人は、ほんと、うっとうしく軽蔑したいな、と思われて(おひさきなく、まめやかに、えせさいはひなど見てゐたらん人は、いぶせくあなづらはしく思ひやられて)」(『枕草子』二十二段)「えせさいはひ」ってすごいことば。見せかけの幸い。→参考文献『新訂枕草子上巻』(313頁)#光る君へ
■文字を教えるまひろ、清少納言は自立するために離婚。それぞれ違うけれど、平安女子も将来を考えて苦しんでいたのですね。バックミュージックがすごい#光る君へ
■清少納言の夫・橘則光は風流ではないけど実務官僚タイプですね。文字を必要とする人々が少なかった時代ですね。#光る君へ
■道隆さまの後ろは漢詩屏風ですかね。#光る君へ
■【兼家追悼】道綱母は妻の一人。OK。妾ではない。長谷寺で兼家が迎えにくるのは上巻。まだ熱々のころ。この時、なんと道隆も兼家といっしょに来てますよ。「人心うぢの網代にたまさかに寄るひをだにも尋ねけるかな」(道綱母)、「帰るひを心のうちに数へつつ誰によりてか網代をも訪ふ」(兼家)#光る君へ
ソフィア『蜻蛉日記』Ⅰの一〇六頁
■【兼家追悼】また鵜飼いは中巻に出てきますね。道綱母はかなり行動的なんです。
一七八(道綱母)うへしたとこがるることを尋(たづ)ぬれば胸のほかには鵜舟(うぶね)なりけり→ソフィア『蜻蛉日記』Ⅰの218頁#光る君へ
■紫式部も読んでた『蜻蛉日記』。その作者の道綱母についてはこれをどうぞよろしくお願いいたします。
https://kadobun.jp/serialstory/oucyojiten/
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■参考文献
■『紫式部伝』(上原作和、勉誠社)■『新訂枕草子上・下』(河添房江・津島知明、角川ソフィア文庫)■『平安朝歌合大成二』(萩谷朴、同朋舎)■『大日本史料第二編之一』(東京大學史料編纂所)■『蜻蛉日記Ⅰ・Ⅱ』(川村裕子、角川ソフィア文庫)■『蜻蛉日記の表現と和歌』所収「兼家と和歌」(川村裕子、笠間書院)■『ビギクラ小右記』(倉本一宏、角川ソフィア文庫)#光る君へ
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