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★第十六回大河ドラマを100倍楽しむ方法


★第十六回大河ドラマを100倍楽しむ方法

★平安時代へようこそ!!★
無料配信のはじまり、はじまり~
推測して作るので時間が
少しずれるかも。
許してね。
よろしくどうぞ。
#光る君へ

■この間の石山ですね。『蜻蛉日記』ですね。さわは、のけものになったのかな。確かに道綱はまずいことをしました。空蝉を思い出しましたね。#光る君へ 

■まひろのおじいちゃん(為信)の兄弟(為雅)は道綱母の姉婿。だから親戚モードばっちり。まひろは『蜻蛉日記』を読んでます。なお為雅は花山天皇側。つまり、まひろの父と同じ政治的立場でした。#光る君へ #蜻蛉日記

■書くことで己の悲しみを救う。だから言葉に強い響きが宿っているのです。『蜻蛉日記』。#光る君へ #蜻蛉日記
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九九四年

■行成の『古今和歌集』の写し!春歌が見えますね。写真は伝行成筆古今集切の一筆箋。#光る君へ

■斉信の献上品の時にちらっと清少納言が映りましたね。斉信とせいちゃんはあやしいのね。#光る君へ
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■香炉峰の雪ですね。これは有名。『白氏文集』の「香炉峰の雪は簾を撥ねて看る」を清少納言はすかさず使いましたね。定子は雪を見たかった→『新訂枕草子下』172頁(角川ソフィア文庫)。#光る君へ

■香炉峰。ここでは定子さまは笑っていらっしゃいます(笑はせ給ふ)。いつもいつも定子さまは明るく笑っていらっしゃいます。#光る君へ
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■雪山の段も『枕草子』で有名。十二月十日あまりに降った雪で作った雪山。それがいつまでもつかどうか。清少納言は一月十五日と言いました。それなのに十四日に雪山がなくなりました。それは定子さまの仕業だったのです。悔しがる清少納言。ここでも定子さまと一条天皇は笑っていらっしゃいます。→『新訂枕草子上』400頁

■行成様は道長様と帝の両方が好き#光る君へ

■伊周は直衣だったのですね。公任さま(町田啓太さま)が怒っている。ただ直衣参内もありました。
#光る君へ

■この当時はある程度の地位になると直衣で参内できました。「雑袍(ざっぽう)の宣旨(せんじ)」を受けるとOK。あまり知られていないことかもしれませんが、藤原兼家は九六三年の二月二日に「雑袍の宣旨」を受けています(『元享四年具注暦裏書』)。#光る君へ

■兼家は直衣で参内できるので、この姿に「寝間着」のような注釈を付けるのは間違っています。→『装いの王朝文化』参照。#光る君へ

……音楽
……音楽と詮子……
……音楽……
■正暦四年(九九三年)一月三日。東三条院に行幸。この時の音楽会はなんと詮子の所だよ。一条天皇は笛、実資さまは琵琶!お腹の上にかっこよく琵琶が乗りそうです。見たい!ですね。#光る君へ

■琵琶の実資さまはあいかわらず「この月は詮子さまの忌月(きげつ)(=命日のある月)なのに、音楽会あるはいかが」と言ってますね(『小右記』)。誰の忌月か?それは、詮子さまの母・なんと時姫さまの忌月。だから通常は自粛モードなんですね。#光る君へ

■王朝の演奏は基本ライブ演奏。だからうまくなりたいですね。楽器やってると痛切に思います。「琴や笛など習う場合もまた、それほど上達しないうちは、上手な人のように早くなりたい」と思われるようです」(『枕草子』「うらやましげなるもの」→『新訂枕草子下』一五三段30頁)#光る君へ

■詮子が女院になったのは九九一年(正暦二年)。東三条院(とうさんじょういん)。と呼ばれます。#光る君へ

■詮子はすっかり悪役になってますが、彼女は身体が弱かった。四十歳で亡くなります。亡くなったのは行成さまのお邸でした。倫子や明子の年れい。その半分にもいかない生涯でした。かわいそう。#光る君へ

■【おまけ】詮子は道綱母と歌関係でつながってます。『道綱母集』によれば一条天皇の五十日に道綱母は歌を贈ってます(『道綱母集』二七一)。また、なんと兼家の正妻・時姫の法華八講(時姫は九八〇年没)にも道綱母は歌を詮子に贈ってます(『道綱母集』二九〇)。この法華八講は九九〇年。兼家没の年でした。#光る君へ

■彰子さまはまだかわいい。彰子さまは八十七歳で没。土御門女系は長生き。穆子(ぼくし)(八十六歳)→倫子(りんし)(九十歳)→彰子(八十七歳)

……疫病……
■貞観政要→帝王学の教科書です。唐の太宗が群臣と政治上の得失を問答したもの。
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■疫病については次の論文無料ダウンロードどうぞ→河添房江「『源氏物語』と王朝の疫病」より。J-STAGE Articles - 『源氏物語』と王朝の疫病 #光る君へ
https://doi.org/10.34492/bungakugogaku.231.0_88

■このころは疫病(伝染病など)がすごいことになってました。『蜻蛉日記』の石山詣でにも「河原には死者が転がっていると聞いたけれど(河原には死人も臥せりと見聞けど)」とあります。(★『蜻蛉日記』Ⅰの152頁)#光る君へ

■道綱も九七四年に疱瘡になります。疱瘡は天然痘のこと。八月の二十日ごろから九月初旬まで。兼家はそっけない対応でしたが、道綱は治りました。またこの時は兼家の家の人々も病気になりましたが、みんな治りました(『蜻蛉日記』下巻)。強運。#光る君へ

■紫式部の伯父さんの代表歌「この世に生きていて欲しい、と思う人ほど亡くなってしまうものなのだ。どうしてだ、どうしてなんだ」(世の中にあらましかばと思ふ人なきがおほくもなりにけるかな)という歌も、長徳元年(九九五)疫病のために亡くなった人々に対して詠んだ慟哭。死別の哀しさに苦しんでいます#光る君へ

■道隆の後ろは漢詩屏風ですね。#光る君へ

■悲田院(ひでんいん)は救済事業と遺骸の処理をやったそうです。都の東西に悲田院が置かれました。施薬院(せやくいん)の方は、貧しい病人を治療した施設です。医家の丹波氏が担っていたということです。#光る君へ

■いつも紙燭の灯りと月の光が、変わらない光で二人をあたたかく、くるんでいます。
#光る君へ


……火事……
■正暦五年(九九四年)だとすると、二月十日、二月十七日に内裏放火事件がありました。#光る君へ ★『一条天皇』259頁の年表

■平安時代、内裏の火事は十四回ぐらいあったと言われています。放火や自然発火(明かりが直火だったため)が原因のようです。なお、消火方法は桶で水をくんで火にかけたそうです。#光る君へ

■番組前に配信【おまけ】初めて職場に行くのはとっても緊張しますよね。清少納言も泣きそうになってます。(「宮にはじめてまゐりたるころ」『新訂枕草子下』一七八段五五頁)、紫式部もつらさを嘆き(『紫式部集』九一)、孝標女(たかすえむすめ)などはビビって早退しました(『更級日記』★ビギナ更級124頁)。#光る君へ

………
■参考文献
■『紫式部伝』(上原作和、勉誠社)■『新訂枕草子上下』(河添房江・津島知明、角川ソフィア文庫)■『一条天皇』(倉本一宏、吉川弘文館)■『装いの王朝文化』(川村裕子、角川選書)■『蜻蛉日記の表現と和歌』(川村裕子、笠間書院)■『大日本史料第二編之一』(東京大學史料編纂所) #光る君へ
…………
■こまろだ、久しぶりに登場ですね。倫子様。恐い。

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