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★第十五回目大河ドラマを100倍楽しむ方法

★第十五回目大河ドラマを100倍楽しむ方法
★今回は九九三年にできごとが美しくまとまっておりましたね。■九九三年、道隆独裁/■九九三年、清少納言初出仕/■九九三年三月十三日、弓の試合/■九九三年、雅信没

★平安時代へようこそ!!★
無料配信のはじまり、はじまり~
今日は石山中心になるかも。
どうかお許しくださいませね~。
#光る君へ

★ああ篇つぎですね。漢字の高度な遊び。旁(つくり)(漢字の右側)を示して、それに偏(へん)(漢字の左側)をつけて漢字を作りました。
#光る君へ

★公任さま(町田啓太さま)の家から出ない道兼。圧迫していた父・兼家が亡くなって放心する道兼。道長の黒袍がきれいね。最初は緋色の袍でしたね。#光る君へ
→道長カップ

★九九三年。道隆独裁。実資は心配していますね。なお、この回は九九三年で、できごとのつじつまがあってますね。#光る君へ

★惟規(のぶのり)は大学寮の試験パス。定員四百人程度。最終試験に残るのは二〇名程度。試験も難しいのね。だから惟規は頭悪くない。「擬文章生」→「文章生」。夕霧の話を思い出してね。夕霧が試験に受かるまでの勉強は大変でしたね。#光る君へ

★琵琶は単調にきこえるけれど、弾く人の思いがこぼれ落ちているのですね。#光る君へ

★おお。一条天皇は笛の名手で有名。文化人の一条天皇は家集も集めていたみたいです。『権記』一〇一〇年六月十九日〈後撰集、行成が書いたもの〉、『紫式部日記』〈拾遺和歌集〉などなど。ただいま調査中。#光る君へ

★九九三年。清少納言が定子の所に初めて行った時のことが『枕草子』の「宮にはじめてまゐりたるころ」に出てきます。(一七八段)→『新版枕草子』下の269頁。定子の御手は「薄紅梅色」。定子登場の場面でも定子は梅の扇を持ってましたね。#光る君へ

★中宮大夫は中宮職。#光る君へ

★弓の話(『大鏡』)。九九三年三月十三日の『小右記』の記事によると言われていますが……。道長いわく「私の家から帝やお后さまが出るはずなら、この矢よあたれ」「私が摂政関白になるのが当然ならこの矢よ当たれ」びしばし当てる→『平安男子の元気な!生活』二〇四頁#光る君へ

★おお、倫子は最後の出産が四十四歳高齢出産、明子は四十二歳!倫子は九十歳まで、明子は八十五歳まで長生きしました。子どもの数も同じ。二人は似てる。そう、道長は健康女子が好き。健康は子孫繁栄には欠かせないファクター。#光る君へ

★源雅信、九九三年没。雅信はなんでもできるナイスガイでしたね。#光る君へ

……石山寺

★物詣では最初に局を予約します。三、四日以上続くからね。それから持って行くものは灯明(とうみょう)と願文(がんもん)です。願文にはお願いごとを書きました。そう現世利益。また、物詣でのなかで夢を見て、それを占ったりもしました。源氏フリーク孝標女が書いた『更級日記』にたくさん出てきますよ。#光る君へ

★石山寺は、有名な物詣のメッカですね。藤原道綱母、清少納言、紫式部、和泉式部、菅原孝標女の作家女子たちも行ってます。また詮子も行ってます。ほとんどの貴族が行ったと言えますね。『石山寺縁起絵巻』には、なんと孝標女、道綱母が描かれてます。今はイベントで賑わっているとか。#光る君へ

★お寺でばったり。これは『源氏物語』でもありますね。玉鬘たちと右近が海石榴市(つばいち)でばったり会いますね。この時は長谷寺(はせでら)でした。#光る君へ

★道綱母が亡くなったのは兼家没の五年後です。六十歳。九九五年。#光る君へ
だから九九三年には生きています。五十八歳くらいか。まひろは二十一歳ごろ。
年齢的にはおかしくない。

★おおおおお、「嘆きつつ」ですね。日記を書くことで自分を救う。書くという行為は平安女性たちにとってどういう意味を持っていたのか。#光る君へ

★紫式部集のなかには心と身体の相克が描かれる歌がありますね。

★九九三年まひろは二十一歳ごろ、道綱は三十八歳ごろ。だから会っていてもおかしくはない。ちなみに清少納言は、二十八歳ごろ。まひろと清少納言も年齢的には会っていてもおかしくはない(あくまでも年齢のみ)。→ジュニア新書『王朝のステキな!女性作家たち』の年表は全員ありますので便利です。#光る君へ

★男子が忍んでいくと二人女子がいて、一方の女子が逃げる。源氏のオマージュですか。そう、空蝉と軒端(のきば)の荻(おぎ)。空蝉は小袿を残して逃げました。軒端の荻は可哀想。#光る君へ

★道綱は和泉式部との贈答歌などもあり、風流貴公子。歌合も主催(長能〈道綱母の弟〉出席)。妻はなんと倫子さまの妹です。#光る君へ

★道綱は和泉式部と贈答歌あり。「泣き濡れて和泉式部という名は絶えたと聞きました。でも最近はたくさんの人が泉を汲んでいるとか……〈袖ぬれていづみといふ名は絶えにきと聞きしをあまた人の汲むなる〉」(道綱詠『和泉式部集』二三五)道綱母はすでに没。ママ代作の可能性なし。#光る君へ

★『蜻蛉日記』の石山詣で。道綱母は王朝女性の物詣でとしては珍しく石山寺に徒歩で行きます。下巻によると『蜻蛉日記』の物詣では子宝祈願。自分の力ではどうにもならない子宝を求めて、道綱一人であった道綱母はたくさんのお寺を回ります。悲しみを通り越して残酷ですらあります。#光る君へ

★石山寺関係でよく解釈の問題になる『和泉式部日記』の「仏の御前にはあらで」。
これは当然ですよ。前立観音の前にいたからね。ご本尊は隠れているのでね。今もこの前立観音は石山寺にあります。年代的に古いので和泉式部は見ています(断言)。
だれも言わないけどね。#光る君へ

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■参考文献
■『紫式部伝』(上原作和、勉誠社)■『新訂枕草子下』(河添房江・津島知明、角川ソフィア文庫)■『道長ものがたり』(山本淳子、朝日新聞出版)■『蜻蛉日記Ⅱ』(川村裕子、角川ソフィア文庫)■『平安男子の元気な!生活』(川村裕子、岩波ジュニア新書)■『蜻蛉日記の研究』(上村悦子、明治書院)#光る君へ
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