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★第二回目大河ドラマを100倍楽しむ方法(ツイッターXより)

★第二回目大河ドラマを100倍楽しむ方法(ツイッターXより)


★★なるべくシナリオのカット順に並べました。最初の二つは番組前です。
前もって書いたものをシナリオを見ながら並び替えました。

★★やはり道兼は兼家の言うとおりになりましたね。毒入れるのね。道兼は父の兼家から評価されたくて仕方ない。だから評価依存。兼家の言うとおり動いてます。ということで、今日ツイッターに挙げた順に書きましょうね。
今回は円融、兼家、詮子が中心になりましたね。特に詮子。詮子の歌、いろいろと興味深いです。

■紫式部の弟。惟規(のぶのり)は、どれ見ても「勉強嫌い」と書いてあるけど、勉強嫌いの子が大学寮に行って大丈夫だったのか。なお、道綱が大学寮に行ったかどうかは不明。「試験など間違えないように」と母が書いているところをみると行ったのか。しかし兼家の息だからねえ。資料がないから難しい。

■兼家と円融の歌のやりとり。これは一次資料。かなり多いですね。兼家は円融歌壇を支えた一人。政治的に反目してたからといって、贈答歌を交わさないわけではない。もっとゆるっとした関係なんですね。川村『蜻蛉日記の表現と和歌』より。兼家と円融帝の歌を集めました。

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■人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな(親心というものは分別があるはずなのに、子どものことを思うとなぜか闇夜の道を行くように、どうしようもなく心がまよってしまうものなのです)(『後撰和歌集』一一〇三)詠者の藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)は紫式部の曽祖父。


■裳着(もぎ)は成人式ですね。裳着をすますと結婚ができました。でもこの順番が違っていた女性がいました。それは『源氏物語』の紫上。あまり知られてはいませんが、あとで出てくる兼家の娘・詮子は、道綱母の養女と一緒に裳着する計画があったのです。兼家の提案。(『蜻蛉日記』下巻)。

■硯のモバイル→まひろが代筆屋で使っていた小さな硯。これはモバイルですね。硯箱のモバイルは『源氏物語』の「澪標」に出てきます。惟光が源氏に渡すのですね。ここの所の絵は浄土寺蔵の「源氏物語扇面散屏風」が有名。

■兼家と円融天皇は遵子の立后で対立していましたが二人とも和歌の上では交流有。「円融天皇周辺で和歌をよく詠じており、兼盛・能宣といった歌人たちとも交流があった」(和歌文学大辞典、川村執筆)ということで、政治的には反目してましたが、和歌のやりとりをよくしていました。

■詮子と円融天皇の仲はそれほど悪くはなかったかな。兼家が怒ってもしょうがない。遵子が立后したのだからね。「おなじ女御の御方にうへ(円融)、つねにわたらせ給けるに、ゆげひの命婦に東三条のおとど(兼家)」(『円融院御集』四十八、四十九)。仲良しの時期もありました。

■大河では、実家の紫式部の部屋がセッティングされてますね。廂と母屋直結らしき貧しい設定。なお、『新編日本古典文学全集 源氏物語一』(小学館)の月報には「紫式部の居室」という説明付きの絵があります。こちらは土御門邸のなかの紫式部の部屋。

■詮子(せんし)は一条天皇(懐仁(やすひと)親王)を東三条邸(兼家の邸)で生みました。この絵は珍しい詮子の出産シーン。栄花物語の絵巻です。現物はもうありません。この模写が唯一の絵となりました。→『平安のステキな!女性作家たち』207頁参照。

■詮子はアクティブで魅力的な女性。兼家の息・道綱が橘を贈ってきた時に橘の贈答を交わしています(『道綱母集』)。この贈答はまるで『和泉式部日記』の冒頭みたい。年時的にいっても詮子の歌は『和泉式部日記』以前。詮子の歌については研究が進んでいないので、ぜひぜひ調べてみてね。

 

 

 

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